遠州森町三倉 許禰(きね)神社だより

訪問ありがとうございます。静岡県周智郡森町の北端、三倉に鎮座する許禰神社のブログです。当神社は創建の年代は明らかではありませんが明治6年に浜松県官史調査により延喜式帳に登載されている古社と確認され三倉郷の郷社として定められました。平成27年に御遷座100周年事業にて徳川家康から拝受した「天下和平不生禍亂」の短冊を写した記念石碑を建立しました。ぜひ一度ご覧ください。田舎の小さな社ですが新東名森掛川ICから車で15分ですので   お気軽にお立ち寄り下さい。      静岡県周智郡森町三倉830番地                          

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2014許禰神社だより 卯月(4月)

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 発行が少し遅れましたが卯月の便りです。卯月は「卯の花」が咲く月の他に稲の苗を植える植月からきたという説もあるようですが、三倉の里山はいよいよお茶のシーズンですね。

 3月は神社も1年の会計月となりますので年間行事を振り返り決算書や予算書の作成後4月13日に三倉地区神社総代会を開き承認いただきました。

  

 さて、許禰神社の歴史について先月の続きです。神話の世界から繋がるお話でしたが実際に継承されてきた始まりは木根の棚指村(たなさしむら)からのようです。文献によると「木根棚指村の一丈岩に祀られていたが享和元年(1801年)の山崩れにより多くの氏子とともに埋没してしまった。このため氏子の木根松次郎が自宅に遷(うつ)し祀った(社殿を新築し鎮座させた)」とあります。

 「明治6年に浜松県官史調査の結果、延喜式に登録の許禰神社であることが確認され三倉郷14村と熊切郷12村の郷社と定められたが次第に三倉郷のみで祀るようになった」とも記されています。三倉郷とは「大河内村・上野平村・中村・大久保村・田能村・乙丸村・中野村・舟場村・西ケ嶺村・曲尾村・黒田村・大府川村・木根棚指村・三倉村」の14村をいいます。

 明治4年の廃藩置県以前はこの地域は遠州国であり豊田郡に属していました。明治8年に14村が合併し三倉村となり、周智郡になったのは明治12年のこと。森町になったのは昭和31年のことです。文明開化により国の制度も大きく変わりそれに伴い三倉も変遷されてきたのですね。

 写真は三倉に遷るまえの木根の旧社殿です(社務所に掲示してあります)
現在でもここに行くまではかなりの道のりであり、当時としてもかなりの山奥だったにもかかわらず現在まで継がれてきたということは、いかに神社(神様)というものが氏子にとって特別なものであったかと伺えます。
 
なお、現在この社殿は林道の拡幅に伴い解体作業にかかっています。
またひとつの歴史が消えてゆくことになりますが、御神体は現在の許禰神社にてこれからも大切に祀ってゆくことになります。